@ 和物所稲荷(あいなんじょいなり) |
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昔お菊という女が和物を売って生活の糧としていた。ある時旅侍に切られて死んでしまったがその後から旅人の災難が続きました。それを見た地元の人達がお菊の霊を稲荷神社として祀ったと伝えられています。その後旅人の災難はなくなった。瘧の病と失せものに効果があるお稲荷さんで願をかける時和物を上げるのが風習のようです。 |
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A 高橋神明宮(たかはししんめいぐう) |
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創建の年代はかなり古いといわれている。
本殿の神明造は立派なもので、拝殿と共に昭和43年に改築された。合祀されている白髭神社は明治の初めまで高橋新田にあり飯田の森といわれたところにあった。豪族飯田五郎家義の氏神といわれます。天王社は天王原にあったが水害のため高源寺に永くあった。大正、昭和の初めは高源寺で天王社奉納角力を行ったようです。
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B 高源寺 山号 廣徳山
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創建は延文元年(1356)鎌倉円覚寺の仏満禅師を請じて開山。高橋城城主某が祖父の高橋孫太郎維行左衛門尉のために、この寺を建てたと言われる。境内に梶原平三景時一族の供養碑があり銅板で景時を浮彫りにしたものがある。本堂は久能寺妙楽院を明治の初め巴川で運んで移築したもので静岡市の文化財に指定されています。明治22年の飯田村誕生に功績のあった山梨豊太郎の碑もあります。
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C 建徳寺 山号 高橋山
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当時はもと寺名不詳の禅寺でしたが、永禄九年(1566)正円院日泉上人により日蓮宗高橋山建徳寺となった。少し東の釈迦堂の土中より出た釈迦像を迎えて本尊とした。この尊像は行基菩薩の作と伝えられ鎌倉建長寺の本尊でもあったので寺号の由来となった。しかし文化3年(1806)全山焼失し、今は十界大曼荼羅が本尊です
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F 崇壽寺 山号 医王山 |
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鎌倉幕府が滅亡した時、崇壽寺は鎌倉で兵火にかかるが、本尊の薬師如来像のみが残った。霊験ありと感じた南山和尚は背負って駿州飯田郷まで来て、村人達の信心深いことを知り、その地に一宇を創立して崇壽寺を再興した。南山和尚が植えた松は直径が2m余りとなり、その影は4ヶ村(下野・石川・蜂ヶ谷・山原)に及んだと伝えられている。寺の裏に明治29年に建立した石碑が残っています。 |
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G 八坂神社
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船岡山・通称天王山に八坂神社はあります。祭神は素盞鳴尊で疫病(はやり病)除けの神様です。夏と秋の祭典には、お賽銭は子供達が拝殿の中に入って拾います。明治初め頃まで奉納角力があったようです。戦前までは雨乞いもこの神社でやりました。境内の西側には、今は埋め土したが弥生人が住んだ跡がありました。
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